自閉症社会人 カモニャールの日記

多趣味な自閉症平社員がなんか語ってるブログ。

母親に感謝しているのに怖くてたまらない

 

こんばんは、かもにゃーるです。

 

今回はタイトルの通り暗い話なのですが、気持ちの整理も兼ねて書いてみます。(なのでわざと夜中に投稿しましたw)読みにくいと思いますがよろしくお願いします(*^^*)

私の家族の話、そして私の人生の話になります。

 

私の家は両親と弟の4人家族です。

自閉症である私や弟とうまく付き合えなかった父親と違い、母親は本当に一生懸命私たちを育ててくれました。

 

私は3歳で自閉症と診断されました。幼稚園の受け入れを断られ、なんとか5歳ごろに保育園に入れてもらったらしい。

それ以外に横浜市の地域療育センターで発達障害がある子供たちと一緒にレクリエーションなどを通じて教育を受けていました。

また小学校は個別支援学級というクラスに入り、その名の通り個別に面倒を見てもらっていました。イメージとしては個別指導の塾みたいな感じかな?

 

外ではこのようにたくさんの人たちの力を借りて生きてきましたが、家の中で子育てを一生懸命やっていたのは母親一人だったと言っても過言ではないでしょう。

 

専業主婦であり難病を抱えていた母親は、子供のために生きているようなものでした。勉強はわからないながらも一緒に調べて教えてくれました。スケジュール管理の方法は母親から教わってきたようなものです。

 

発達障害がある子は時間管理が苦手なので遅刻癖があるのは有名ですが、私は母親のおかげで遅刻したことはほとんどありません。提出物も8割くらいは締め切りまでに出せていました。お陰でなんとか成績は中間をキープw

(まあ得意になった訳じゃないんで今は自分の仕事を時間内に終わらせられなくて困ってますが。。。)

 

こうして社会人として一応働けていることは、幼少期から様々な人の支援があったのは勿論、母親が支えてくれたことが本当に大きいんです。

 

しかし、両親の仲はと言えば、最悪でした。

 

父親は子供の私からしたら好きなんだけどよくわからない人という印象でした。家族とのお喋りが大好きな母親と真逆で、父親は休みの日にたまに話せるだけでうまく会話が弾まないのでどうしても仲を深められませんでした。

恐らくですが私達子供達とどうやって関われば良いのかわからなかったのでしょう。高校生くらいになってからは趣味の話で盛り上がることもありました。しかし、進路の話になると父親は全く話に入れて貰えず、居心地が悪かっただろうと思います。

 

母親はいつからか父親を除け者のように扱うようになりました。私と弟にも父親は家族ではないと愚痴を何年も何年も聞かせていました。

さすがに父親の話を愚痴だけ聞かされていれば、父親は悪者という印象でしか見れなくなります。とはいえ父親とも仲良くしてみたかった私は、父親との会話もできる限りするようにしていました。

 

しかし母親と弟は部屋にこもって絶対に父親と顔を合わせない日々が少なくとも2年は続いていました。なので私は自然と父親と母親の橋渡しの役割を果たすようになりました。母親から父親との会話は全て報告するように言われていました。父親はそれを何となくわかっていたのか、私に母親の愚痴を言うことは滅多にありませんでした。

 

あの日々は私にとってトラウマです。会話を殆どしない中黙々と2人きりで食事をとる。話しかけられたらなんて答えるようにするべきか必死に頭を動かしました。私は嫌われてはいけない。家族の橋渡しをしないといけないから。

 

トラウマだからこそ、もしも母親に嫌われたらと自然に考えるようになったのかもしれません。

私は思春期の頃にみんな来る反抗期を飲み込んで、母親の機嫌をとることが当たり前になりました。

 

母親が嫌がる顔を想像出来る事はやらないようにしました。提案もしない。思っていることがあっても絶対に言わないようにしました。まあゲームやりすぎとか子供っぽいことはやってましたが、人生の選択は母親に自然と委ねるようになりました。それが一番いいと思っていました。自分の望みを考えることさえしませんでした。

 

完全に悪口になってしまいますが、母親は自分が正しいと思っている人です。悪いと認めたところを見たことがない。子供の頃母親からごめんなさいを言われたことがありません。だからこそ、逆らったら口論が終わらないのです。相手が音を上げるまで永遠に口を動かし続ける。逆らわないと決めた要因の一つです。

 

我慢できなくなったのは、大学の頃からです。

父親とはその頃既に別居していました。これはもう仕方がなかったと思います。(まあ世間には別居は全くしておらず、実家にいる設定ですが。)

 

大学の友人から私の母親は異常だと言われるようになりました。それから、ようやく母親に対する敵対心が生まれました。母親に操られた人生のままでいいのかと自分に言い聞かせるようになりました。

 

しかし大学を中退できるお金が無いので、仕方がなく看護師になりました。しかしなる前からわかっていました。全く私には向いていない職業だと。いや、最もやりたくない職業だとすら思っていました。

 

実際就職してからミスが多すぎる、患者とのトラブルが絶えない等の理由でわずか半年で退職の危機に追い込まれました。しかし病院から奨学金(借りていた年数分働けばお金を返さなくていいというやつです。ちなみにこれも母親の指示で何も知らない大学1年から4年間借りてしまいました。)を貰っていた私は、今辞めさせられてもお金を返せないと何度も管理者へ頼み込み、無理やり部署を変更してもらう形で居座っています。今は一応看護師なのですが事務系の仕事しかしていません。母親は部署が変わったことは一応知っていますが、私が看護師としての仕事を全くしていないことは知りません。それでも問題を起こしてばかりなので、課長や直属の上司は頭を悩ませているようです。

 

今後の仕事はどうしていくべきか、まだ決まっていません。看護師は辞めたいけど、恐らく辞めることを母親は全く望んでいません。私が務める病院に通院したこともないのに評判が良いだけでずっとそこで働けと言います。それが母親の理想なのでしょう。転職なんてもってのほかという感じです。看護師は転職多いんですけどね。

 

幼少期の記憶は殆どありませんが、思い出そうとすると相手も自分も泣いてた記憶ばかりなので、トラブルが絶えなかったであろうことは容易に想像できます。ここまで育ててきたことを感謝しています。それは本当です。ありがとうと言いたい気持ちはあるんです。

 

でも感謝をするということは、考えが合わなくても無理やり合わせて親を立てることなのでしょうか。

 

私は違うと思うのです。

 

今は私も母親と別居していますが、親族には一緒に暮らしていることになっていますので、わざと近いところに住んでいます。それが母親の理想なのですね。

 

とりあえず思っているだけでは何も答えは出ないので、今は手芸関連の資格を取るためにこっそり教室に通っています。

母親から頻繁に遊びに誘われますが最低限にしています。

 

私は今でも母親が怖いです。逆らうことが怖いです。でも、そろそろどんな関係性でいるべきか決めないといけません。結局仲良くすることになるかもしれませんしね。

正直縁を切ることは難しいでしょうし、それが正解なのか少し怪しい気もします。今後の介護は私にして欲しいと母親も話していますし、嫌いな相手とはいえ放棄したら犯罪です。母親と同居している弟がそんな面倒なことを手伝ってくれるとは思えません。彼は母親と上手くやっていますから、面倒になったら逃げる方法もよくわかっています。今もやってるお使いが限界でしょう。排泄物の処理なんて絶対にやりません。彼は少し潔癖症で汚いものを触れないため掃除ができません。

 

今後は専門家の力も必要だと思うので精神科の病院も探している最中です。

 

皆さんはお父さん、お母さんのこと好きですか?好きなら沢山大切にして下さい。嫌いなら誰かに相談した方がいいかもしれません。親は離れたくても簡単には離れられませんから。

 

暗くて長い話になってしまいました。読んで頂きありがとうございます🙇‍♀️いつも星つけてくれる皆さんに感謝を🙏´-

 

それでは、今夜もあなたに素敵な夜が訪れますように。